わたしの実家、あまりにも徹底すぎてて。とてつもなく細かくて厳しくて。だから怒られすぎ注意されすぎてきたので、自分に対して良くないことを言われることがとにかく好きではない。大嫌い。
だから「言われないようにするのみ」と思って先手必勝戦法で生きてきてますが・・・
出来れば小さなことでも言われたくない。とにかくひっそりと生きていたい願望。
以前ならそういった育ちの過程があるわけで、人の目ばかりを意識して疲れまくっていたけれど最近はいい感じで力を抜けて生きていられるようになり心地よい。
でもそれでもやっぱ消えないんだよね、そーいうトラウマ。
仕事の話。帰る時間が近づいてくるけどやらなきゃいけないことはある。でも今とりかかると時間内で帰るのにあくせくしそう。とすれば本当なら掃除のみで時間を引っ張り調整すれば自分にとってはベストよね。やらなきゃいけないことは知らぬ気付かぬふりをしてただ帰ればいいのだろうけれど。悲しいかな自分、それが出来ない性分よ。1時間近くもだらだら掃除してる人もいるというのにいつも走り回ってる。
そうなの、ギリギリまで働いてる。もちろん責任感とかもあるんだけどでもそれよりも「人に言われたくないトラウマ」が強いのかもしれない。
褒められることが少なかったので大人になってからは褒められるまで必死に頑張っちゃったりしてさー悲しいね。未だに毒親に人生を操作されているなんて。
ワタシの親はワタシの気持ちよりも親としての自分の気持ちや希望を優先していることに今もまだ気付いてない。そんな彼らはワタシに対して良かれと思ってワタシの気持ちなど理解しようともせずに躾して育ててくれたので自分たちがまさか毒親だなんて微塵にも感じてはいない。
「こんなに必死に愛情をかけて育ててあげてきたのになぜ自分たちの言うことを急に聞かなくなってしまったんだ」「どうしてそんな子になってしまったのか」と50間近なワタシに向けて書いてくるが、それこそ恩着せがましいし自分主義な一方的善意?を私に押しつけた上に罪悪感を植え付け「自分らは被害者です!」みたいな文面にほとほとあきれ果ててしまう。現実みろよ、時代をみろよ、他の家とか見てみろよ!
母の日や誕生日など自分たちに関わる記念日は、わざわざ電話がかかってくる。
で、「今日は何の日か分かってる?普段お世話になっているんだから御礼くらい言うのが常識でしょ?それくらい損はないじゃない?」とかいう催促電話がくるくらい。貰えるのが当たり前だと思っているその考え方に自己中の極みを感じて私は心が冷たくなっていく。お願いだから距離とって。もう何にでもはまってこないで。もう私は50なんだから過干渉やめてくれ!!
言われたくないから言われないようにやる、のは合理的だと思っていたけれどでも実は本当は相手の意思に沿って動かされているってことでもあるんだね?
そんなわけで自己肯定感が低すぎた学生時代、間違った自己肯定感を高めすぎて調子にのっていた時期、ようやく過去から現状までの把握ができ答えがみつかり解決策に沿って生きている今。負のトラウマに引っ張られるとき憎しみが強くなる。
引っ張られて負に落とし込まれたまま生きていきたくはない。親から躾けられた事の中で自分にとって辛いことならば強制的に無視していかねばだわ。もうちょっとずうずうしく生きていってもいいのかも。自分で自分にそうやって言い聞かせて作戦会議しとかないと頭の中がごちゃごちゃになっちゃうね。