わたし、かなりいいお年頃。子はまだ学生。夫は仕事が忙しいので家にいても存在が見えないこと多し。
家族の誰かの為に費やす時間の割合が自分の為に費やす時間割合より確実に多いよなーと子が誕生してからずーーーーっと思っておりまして。
子のお世話をするのは当たり前、ごはんを作るのも当たり前、洗濯するのも当たり前、掃除するのも当たり前、家の用事をするのも当たり前、というふうに、母親業は「当たり前という塊をにぎにぎ握っている感じ」。持てないほどの当たり前という大きなおにぎりをいつもぎゅうぎゅう握り続け更に大きくなった当たり前をぐわーっと握りしめ更にどんどん大きくしていっている気がします。心とは裏腹に。
さて、そんな当たり前。でも当たり前なんですから誰もすごいとは言ってくれません(簿の耳家調べ)。時折感謝はされるけど、だからといって「かーちゃんすっげーよ。ありがとう。俺もかーちゃんみたいに頑張るよ!」なんてふうにはいくはずはなし。
だって、当たり前。されど当たり前。当たり前ですよ!だって当たり前なんですもん。
なんて思いながら。けれどもね、自分の予想とは裏腹に「わたしの趣味=走る」が結構長い期間となってきましたら、子が尊敬してくれるようになりました。
「簿の耳ちゃんすっげーよなー。結構続いてるもんねー。今日も10km走ったって頭まじにイカれてない!?やばい人になってるけどな」などとこの分野についてだけは尊敬される人になれました。いつもデイスってくれる彼等なのにめずらしー。もう1回言わせて!と思えるくらいにめずらしー、なんだよね。
そこで考えてみたのです。
~子が全然感謝してくれないのーと嘆くその前に~当たり前と思われる家事を当たり前にしていては芽生えませんことです感謝とかのそういう類い。だってわたしこどもの時そう思っていたんだもん。強要すんじゃねーって。
「は!?あんた何言ってんの?(それはあなたがするべき)当たり前(の仕事)でしょ?当たり前なんだから感謝とか求めんなよなッ(田舎育ち特有の言葉のチョイスですみません)」って。
相手に感謝を求めるならばまずは尊敬を頂くことが一番の近道ではないのかな?と。尊敬を頂けるということは単純にその相手よりすごい何かを得てるということで?。尊敬される何かがあれば見方も変わってきて当たり前だって勝手に輝いてくれるようになると思うのよ。
~流れ~
今の自分では出来ないことをやり遂げてる母→なんかすごい→その上で家事も仕事もこなしてる→時間ないのになかなかやるなぁ。。。という流れで感謝されたり認められたりとかいう感じ。
友達が「こんなに頑張ってるのに感謝もしてもらえなくてー」と言ってたことから思い考えてみた話。
当たり前を当たり前にやっているだけでは悲しいけど誰も認めてはくれないわ。当たり前以外の特技を入手しなくてはなのだわよきっと。履歴書書くときもそうだけど、当たり前の流れで当たり前にきているだけじゃ誰もなんとも思わない。感謝してほしいならまずは認めてもらいましょ。認めてもらう為には認めさせるなにかを頑張って得るしかないと思う。それからなんじゃないかしら?感謝ってヤツが心の中を通り越して言葉となって発されるのってばさ。