然りとてさりとて

毎日を平々凡々に暮らしたい願望大なのに、いろんな事にわちゃわちゃ振り回され続けてる(振り回してる?)50近くの田舎女性たわごと日記。 VSびんぼー、毒持ち(こうあるべき!大好きな過干渉さん達)から逃亡中、VSストレス作らない、自分の為に自分らしく、VS何事にも果敢に挑戦頑張り中

捨てたら気楽

「〇○しなければならない」という言葉は呪い系だなと思う。

 

〇〇しなきゃダメなんだよ!?絶対にしなきゃいけない的ニュアンスよ?

縛り強すぎるわ・・・。そんでもってその縛りに縛られ続けるノダ、〇〇し終えるその時までずーーーーーーーっと。

 

私の育てられ方がまさにそれだったので呪われ歴は長いです。

親の監視下にあったときは絶対に〇〇をしなきゃ〇〇し終えるまでずーっとしつこくネチネチと文句を言われ続けます。強制なんです。

 

その縛りの年月が長すぎたことと縛りの強さが逃がしはしない的に強すぎた為の反動が親の監視下でなくなってから徐々にじょじょにどんどんと強くなり、それはめきめきと確かなものとなって、気づけば気づくほど思えば思うその度に比例しながら

増大増殖していくばかり。

 

ノロイまじ怖い・・・・・・・・・・・

 

物を頂いたら「ありがとうございます」というのは当たり前といわれる礼儀のひとつですが、要らないと言ってるのに強引に頂くことになったらはっきり言ってこちら側からしたら大迷惑。

けれどもすっごい嬉しそうに御礼を言わなきゃなのです。そもそもがそーゆー家系。で、影ではガンガン言ってるという図式。そんで私も染まってた。

 

 

矛盾感じる。だから「御礼言わないということはどういうことか察して対応してくれよ」と思うようになりそうしました。が。

 

「しなければならない」の呪いはもちろんのこと親戚中でもそんなん当たり前状態なのでどうにもこうにも何も変わらないまま。

 

ノロイ怖い・・・・・・・・・・・・・・

 

 

とにかくそれぞれが立派でなきゃいけないというお望みお高い家なので、義理を欠くということがどれほど面倒で厄介なことかと想像するだけで反抗する方が損だからと思うのかもしれません。長い物には巻かれろとは言いますが、この場合は巻かれちゃいけないんだよベイベー♪と私は歌いたい。

 

 

「しなければならない」という呪いは言葉をかえると「完璧でなければならない」とも読み取らなきゃいけなかったので私は人との交流においては完璧主義な方でした。

完璧にやり遂げなきゃならない、そうでないと笑われる、人様に迷惑がかかる、馬鹿にされる、恥ずかしいのは恥だ、という刷り込みは私を長いことずーっと苦しめ続けました。

 

おかげで自分の意見をはっきりと言うことが出来ない。だって言うことで人様に迷惑をかけてしまうことになるかもしれないから。だからそうしてると「この子は家の中ではうるさいくせに外では猫かぶって大人しくって-」などと私の目の前で私を卑下して人に話す。おかげで私も途中までそういう子育てをして間違ってしまってた。南無。

 

生きづらかったのは刷り込まれたそういった概念が余りにも沢山ありすぎて自分を苦しめてたから。だからある一件を境にそれらを全部捨てました。そしたら生きやすい!!!自分らしい!!!まじ素敵!!!ストレス減った☆

 

そういうの捨てたおかげで考え方はおおざっぱになり他人を許せるようになりました。それまでは他人なんて特に許すことができなかったから。でもその逆、身内に対して、特に「〇〇しなければならない」の元凶でわたしを縛り付けた人達を憎むようになりました。憎んだって良い事なんてないのに。これはこれで苦しいけど距離をとることで心の安定を今はとりあえずはかってます。

 

そういう系の人には言っても無駄なんだよね。聞く耳持たないから。聞いてもはねのけられるの分かってるし。だから距離をとることしか出来ない。でもそれが出来てるだけでも凄いのだからヨシと考えるが吉だよね。

 

いろんなもん捨てたおかげでいろんなとこで心が穏やかになりました。完璧主義じゃなく「ある程度主義」なのでゴールはまあだいたい程よければヨシ。そう決めてから継続することの大変さがぐぐっと減りました。適当さんブラボー!適当さん万歳!

 

「女のくせにちゃんとしたおかずも作らないでこんなごはんを食べさせてるだなんて信じられない」と言われようとも気にしないきにしない。悩んでるだけ時間の無駄よ♪そう思えるようになった。仕事失敗しても「次からは絶対間違えない。だから今回のミスはとりあえずしょうがない」など完璧主義を捨てたら自分を許せるようになった。凄く大きな収穫だった。

 

一体なんだったんだろう、いつもそう思う。親は親不孝だというけれどそれまでが親孝行だったのだからいいじゃんか、と思う。どこまでも望みすぎなことを今は学び気づいてくれてたら嬉しいのだが(多分無理だろう)