10年一昔といはいいますが、10年って重み、大きいね。
過ぎゆくは早いけどよーく考えてみると深いなと。
ここ最近、我が家の家電がどんどん悲鳴を上げていてそれで思いました。
「それくらい使うともうリングに立ち続けられないってことなのね」
可愛い姿でれーぞーこを開けてた彼たちも今ではすっかりおっさんめいてます。
元々おっさんめいていた夫は更におっさんオッサンしています(髪の毛も心なしか薄くなってさぁ)
10年一昔。感慨深い。
メタ認知が出来なかった夫も(痛い思いをしたおかげ)今ではようやく学んでくれたようで最近はぶつかり合うこともほとんどなくなりました(お互いがお互いをスルーできるようになった)
「そんなの当たり前の常識だろ」という言葉に全てひっくるめて「〇〇しなければいけない」とルールばかりに細かくうるさい、一方的視点でしか物事をはかれない実家と距離を置いたおかげで縛りから解放されました。
いつもベストな答えばかりを考えて人に接していたので疲れたよね。その上立派でなきゃいけないし間違ったことは許されない。疲れすぎたよね。
でも今は何にも縛られてなくて心地よい。気分がのらず洗い物をしたくないのなら今日はしない。でも明日の朝は絶対洗うから、などと自分で考え自分で決めて自分で行動する誰にも操作されない自由を存分に楽しまんと☆と思ってます。
だって核家族ゆえの利点。誰の世話にもなってないんだから当然です、自分らで稼いで自分らで全てまかなうからこその自由。大変だけど自由って素敵。誰の目も気にしなくて言い分精神がとってもラクなんだもん。
ってどんだけハードな人生なんだ、、、と思うけど確かにそうなのよ。普通の家なんだけどプライド高いし見栄っ張りだし完璧主義派でとにかく強制強要凄かった。だからエクトプラズム吐きながらまでして洗うべきではないと思ってる。体調を崩してもごはん作らなきゃとか必死にやらんといけない?適当でいいじゃない。完璧じゃなくていいじゃない。ほどほどでいいじゃない。って私は思うんだけどそれは許されぬ家。嫁も出て行くの当たり前(時代錯誤だもんねぇ)絶対イヤだ(今話題の森さんみたいに蔑視や軽視の観念が消えない家)
だから私は私の心を大事にしています。私は私。もうガキじゃないからね、親の願望に無理して寄り添って取り繕う必要はなし(皿も洗わずに寝てるとこ、実家の両親に見られたらお説教どころの話ではない)
そして思った。ようやく辿り着いたと。どうにもならん事は考えない。ただ淡々と対応していくしかないざますと。もう怖いもんはなんもない。それに近い気持ちでいます。
おばけもほとんど怖くないし(現実の方が怖すぎるわよ)何が起きても自分さえ自分の軸さえしっかりしてれば大丈夫と思ってる。お金なくても健康さえあれば働けるんだからありがたいなと思ってる。これまではお金がキビシクなると愚痴とため息、悪態ばかりついていたけれど、愚痴とため息ついても金銭面ラクにならんのなら言っても意味ないなと、無意味だなもうやめよう、とか。
子供の頃からガマンしすぎて満たされてなかった気持ちと心がようやく成仏しはじめた感じです。どうにもならん事は考えない。その日その時出来る力で出来ることをすればそれでいいじゃない。そんで優しさをいつも持ち併せながら自分をも大切にしてあげれたら素敵だなって思ってます。