然りとてさりとて

毎日を平々凡々に暮らしたい願望大なのに、いろんな事にわちゃわちゃ振り回され続けてる(振り回してる?)50近くの田舎女性たわごと日記。 VSびんぼー、毒持ち(こうあるべき!大好きな過干渉さん達)から逃亡中、VSストレス作らない、自分の為に自分らしく、VS何事にも果敢に挑戦頑張り中

認めてもらえる幸せ

人と関わり合いながらでないと仕事が成り立たないため、人間ストレスはたっぷり受けてしまう職場にいます私です。

 

今のところはボス級のモンスターが確実に数名はいますが、それを同じように理解し同じ気持ちでいる人達のおかげ、なんとか踏みとどまることが出来てます。

 

 

今回は「認めてもらえる」幸せについて考えてみました。

 

認めてもらえる=存在の肯定、そして共感。それらの威力は心にとってなんとも頼りがいある自信への凄まじい道しるべでもあります。

認めてくれている=分かってくれている、この威力は安心と安堵をもたらしてくれます。

 

どんなに大変でもそれらのおかげでなんとかなったりするものですね。分かってくれている人がいてくれるおかげ、ほらやっぱり自分は間違ってない。このままでいいんじゃんと更に頑張れたりもしたりします。

 

 

さて、そこで考えてしまうこと。人間摩擦の少ない職場にいる友人はどんなに頑張っても目に見えて認めてもらえない、不公平だと嘆いてます。

 

 

でも人間摩擦が少ないおかげで人間ストレスは余りない。

 

片や人間摩擦が多すぎるからストレスというお土産は毎度毎度でたっぷりだけど、でもそれを理解して分かってくれている共感者がいる。

 

さて、あなたならどっちをとる!?

 

 

大変だけど認めて貰える方が人間的には長生きしそうだなと私は思ってしまいました。

友人の話を聞いてると悲しさがどんどんに虚しさに変わってる気がしてしまったから。

 

人間、負の感情が成仏されぬ限りはずっと心も負に支配されがちかもしれません。その点どんなにストレスMAXであったとしても負の感情を共感し理解してくれる人がいるおかげでそういった感情は少しづつ成仏していけてると思うし(人にもよるでしょうが)むしろそれがやる気にも繋がる事もあり得るわけで。

 

 

責任が直に自分にかかってきて大変であればあるほど、信頼も信用もそれに比例して高くなっていきます。ともすれば認めて貰いたい人はやはり責任が自分にガンガン降りかかってくる仕事をするしかないのでは?と思うところです。

 

不幸自慢より幸せ感度を高く持って過ごしていく方が得であって徳ですかね。