以心伝心ではないが「察する」という行為は、それが1ラリー成り立ったらそういうことなのかもしれないなーって最近思うのです。
「それくらい察してよね!」とか「察するところ・・・」など、そういうのってもうまさに連想ゲームの範疇。面白いったら面白いけれど、察するべき中身の大切度が高ければ高いほど厄介だったりしますから1人で勝手に察している方が好きですね、うん。
まず察するに大切なのは観察力と洞察力。相手を知ってませんと察することは出来ません。その人の発言や行動から読み取れるありとあらゆるそれまでのデータと自分の脳内にあるいろんな知識やデータを付け加え合わせて分析し確信に結論づける。そうして察することができるようになるはず(疲れる長旅レベルだわね・・)
カンの良い人っていますけど、私の場合「この人すごっ!!」と思った人はいままでいなかったように思えます。でもほら出たよやっぱり、、、な人に出会ってしまいました。
今年に入ってからなんだか忙しくって、休みたい日にちがかなり沢山あるのですが、さすがに自分だけ沢山のやすみ希望を申請するのは忍びなく最低限のやすみ希望のみ出したんですね。
そしたらさ、希望日はもちろんのことお休みになっていましたが、申請していないけど本当は休みたかった日も休みになっておりまして・・・・・
もしかして察した?調べて対応してくれた?やっぱすごいな私以上かも(空気よまなきゃ怒られる家だったし仕事的にそういうの多かったので察するのには敏感なんです)、と思ったのです。
家に帰ってこどもにその話をしてて、「有能じゃない?」とか「すごすぎだよねー」とか言っているうちに、「ん?そこを察して対応してくれたということは?、も・し・か・し・て・・・・・・」
すぐさま見ましたシフト表。そしたらそこにはまたもやお休みしたかった日が休みとなっているではありませんか。
YES, びんご
またもや私が本当は休みたかった日がお休みになっておりまして、どこまで有能なの。察しすぎでしょ?と思ったのでした。
そうしてすぐそこにいたいつも不機嫌で偉そうにばかりする男の無能さを悲しむばかりです。