せっかくだから楽しく生きていきたいねぇ、そう私は思うのです。
面白い話を聞くのも好きだし面白い事を考えることも好き。
でもさ、面白い話ってひとりでは成り立たない気がするのよね。共感してくれる人がいないとさって最近すごく感じたことがありました。
真面目な内容の話だったのでちょいとフランクな表現の要素を入れてみたのですよ。
余りにもあの人達がやろうとしないのでライフは0状態ですね、と言ったところ、相手の反応は「・・・・・・」。無効。
以前にも無効を何度もかっくらってますのでやっぱりね、という気持ちなのですが、どうしてこうにも私はやっちまうんでしょうか。
ということでここについても考えてみました。
以前の上司がとても面白くとても物知りだった為、どんな話をしても会話が成り立っていたんですね。それをわたしは自然と求めているんだろうな。それとわたしを知ってほしいと思ってそうしているんだと思うのです。
その職場ではいつも笑いが絶えずコミュニケーションばっちりだったったのに今は笑うことさえ全くない。確かにわたしの居場所とわたしの立ち位置があったのに今の職場はもうなんだかわたし別人のような感じで自分を封印しすぎている気がして疲れるんです。だから少しだけでいいから私の私らしさを認めてくれる人がいてくれればと望んでしまうんだろうな。
抑揚のない会話ってさみしいわ。温度がないんだもん。良い話も良くない話も温度を感じて話したいものです。温度を感じながら聞きたいものです。
ん??警戒されているだけ!??だったりして!??