一応既婚者なので嫁という言葉にも当てはまるわけですが、私は嫁仕事など一切してません。てかしません!だって絶縁状態よん☆
昔の時代を生き抜いた人からすると「バッカモーン!!(怒)」ってやつ?「嫁の分際のくせに!」ってヤツ??、と先日みたテレビから衝撃を受けまくったその名残、まだまだ引きずってるので書いてみる。
嫁の地位は低かったね。でも今も尚、まだそれが続いている地域や家だってある。
なぜ低い?と考えてみたらばさ、明らかに「誰かが低いと決めつけた」からだよね。で、低いということはその反対に高い人がいるという当たり前の定義。
なんだよ、、結局ジャイアン思考なんじゃねーか、と私は思ってしまうのねん。
だって実家がそうなんだもん。母親の実家もそうなんだもん。
お盆とお正月はお金が貰えるから嬉しい、でも苦痛。だって私ともう1人しか女の子いない地獄。まじまじと性差別を感じ取らせて頂きながら成長してきましたよ、あたしゃ。
私ともう1人の女の子以外の従兄弟はさ、汚らしく鼻水やよだれたらして「でへへ、うぎゃぎゃー」って元気よく走り回ってりゃ良かったからね、男の子はさ!
そんな光景を横目で見ながら「ほら、ちゃんとやりなさい!女の子なんだからごはんくらい作れるようにならないと結婚できないよ!」とか叱咤激励(?)されて。
「あたし結婚なんかしないもん。女ばっかり手伝いさせられて男ばっか自由だなんてオカシイから絶対結婚なんかしない!!」とか言うと「結婚しないと生きていけないでしょ!?オカシな子だねえ」とか言われるこのやりとりのループ。
嫁の像、女の像ってなんでしょね?男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしく=男は鼻水たらして元気でさえいりゃあそれでよし!
女の子は男に従順につくすお世話人でありゃよしってか?まじふざけんな!だわ。
女たちは到着早々ごはん作りに駆り出される。男たちはくつろいでいればいいだけ。男の子たちは走り回っていればいいだけ。
そうして男たちは酒を飲みはじめおつまみを食べながら何時間も機嫌よく座っている。そのつまみやごはん作り、配膳をする女たち。走り疲れた男の子たちは男たち同様食卓につき食べ始める。それでも私はまだ配膳。奴らが食べ始めてもまだ配膳。奴らがご馳走さまをして本気で遊び始める頃ようやく私は配膳係を終了してご飯を食べてもよい側になれるという・・・
そう、女たちが食卓につく頃には男たちは十分に満たされている。ってなんだよ?それ!
嫁の地位は低く、女の地位は低い。という光景をテレビで観てしまってから胸の中に閉じ込められてた不快なあの気持ちが甦ってきてまじ怒り沸いてきたという。。。
私、反面教師でその反対のような人間になりました。男を頼って生きるような人生は絶対いや、男に付属して男に寄生して生きてく女はいや、自分の自由は自分で掴む。そんな感じの人になったので、イヤな思い出は沢山なんだけど考えさせられるよい機会となったと捉えてみようと思う(必死の前向き)
平等じゃないって不公平すぎる。未だに私は女だというだけで実家や親戚たちの場ではトクをすること少ない気がします。今はそういった場に行かなくなったので傷がえぐられること少なくなったけど。
余談だけどこーいう感じの人達だから親戚内での離婚率めちゃくちゃ高い。お嫁さん4人は離婚してるもんね。型にはめた時代に合わない考え方しか出来ないからそうなるんだと思うけど。
進化しましょうよー、時代に添ったやり方で。と思うばかりだよ、とほほ。