然りとてさりとて

毎日を平々凡々に暮らしたい願望大なのに、いろんな事にわちゃわちゃ振り回され続けてる(振り回してる?)50近くの田舎女性たわごと日記。 VSびんぼー、毒持ち(こうあるべき!大好きな過干渉さん達)から逃亡中、VSストレス作らない、自分の為に自分らしく、VS何事にも果敢に挑戦頑張り中

ひもといてといて

昨日からつくづくに私は優しい人が好きなんだなぁと思わせられてばかりです。

 

「そう、優しい人が好きなのよ」ということで、ならばこそ優しくない人は好きじゃないという分かりやすいオマケ付きですが、どうしてこんなに優しさばかりに注目してしまうのかちょいと考えてみました。

 

なんでこんなに優しさだけにズームアップしてしまう?と冷静に考えたところ、私って人は「優しさというものに慣れていない」からなんだろなぁと思います。

それ+優しくされることで生まれる「特別感意識」が心地よいのかもしれません。

 

多分ね、わたしどちらも持ち合わせずで育ってきちゃった人なんだね?

だからちょいとのことでも嬉しくなっちゃってひゃっほーとかっってしちゃうのよ。

 

 

私自身は小心者なので人に優しくすることは定義なのですが、優しくしてもらうことには抵抗があったのよね。だって優しくしてもらうって居心地悪かったんだもん。優しくされ慣れてないから居心地が悪くてねぇ。なんかむずむずしてきちゃう感じなの。それだから本音とは裏腹に反対のこと言っちゃったりしてさ、そんで「なんであんたはいつもそうなの!(怒)」ってまた怒られて、うまくいくことも上手くいかんかったこと多かったように思う。不器用すぎた、、、

 

 

今は子を育ててるおかげでいろんな事を学び素直にもなりましたからそんなことはないけれど。

 

 

私の親の優しさってものは「お前の為を思って言ってあげてるんだ」という明らかに対等ではない上から目線が当たり前であって「あなたのことを考えて」とは言うものの自分たちの考えを優先し自分たちの考えをとりあえずは尊重したいが為の一方的な押しつけ的優しさが多かったように思うから素直に受け取ること出来ずだったんだよね。

 

いつも注意されいつも怒られいつも否定されすぎたのよ。あっちはそれがまっとうな教育だと疑いもせずだったけど(涙)そんなんが日常だったからだよね、わたし優しくされたかったんだ多分。常識や体裁など関係無しに無条件で優しくされたかったんだと思う。

 

だからかな、他人に優しくされるとかなり嬉しい。私も優しくしたいなあって思う。

そういう関係があるならばマジ感謝だわとつくづく思うのです。

 

 

金欠病が長らく続いてる私を気の毒に思ったらしき友達がボーナス調子よかったから奢るよ☆と言ってくれまして、昨日はご馳走になってきました!

 

おいしかったー☆

染みる。染みるわ!そう思いました。素直に感謝と感激ってやつ。

 

 

 

以前はちょっと優しくされただけで勘違いしたり間違ったりしたけれど、今は流石にそれはない。歳を取って更に見る目は養われた(はず)。でも余りにも度を超えて優しかったりするとちょいと勘違いしそうになりがちなのが怖い。特に他の人に比べより優しくされたりするとうーむって唸っちまうくらい。またまた勘違いという特別意識感がむずむずと自分の中で主張を強くしてきたぁーってことは、そう思うことで自分は必要とされてる側の人間なんだもーんって認識したいんだな?きっと。

 

 

ぼかぁ-、必要とされたいんだなぁー。簿のちゃんじゃなきゃダメなんだなぁーって愛されたいんだろな、とりあえず私のこと嫌いじゃない人には。

 

だからかーっと納得なのは私を長いこと自分のエゴで苦しめたその夫に対して今では情も何もないこと。私に酷いことした人は当然の報い、苦しんでも自業自得だから仕方ないって本気で思ってるもんね。

 

いつかこの気持ちは消えるのかなぁ?大事にされない限り消えることはないのかもね。

さてこの歪み、いかがいたしましょう!って感じだな、うーむ。