然りとてさりとて

毎日を平々凡々に暮らしたい願望大なのに、いろんな事にわちゃわちゃ振り回され続けてる(振り回してる?)50近くの田舎女性たわごと日記。 VSびんぼー、毒持ち(こうあるべき!大好きな過干渉さん達)から逃亡中、VSストレス作らない、自分の為に自分らしく、VS何事にも果敢に挑戦頑張り中

親ガチャ表現なるほどねー、で、子にごめんねと言うの巻

親ガチャ?、それってなんじゃらほい?と思い、その言葉が聞こえてきたテレビの方を見たら、余りのそのインパクトの凄さにすぐさま釘付けになっちまい学ばせていただきました。

 

だって「なるほどなー」って感心してしまうくらいの表現の上手さ。秀逸すぎるぜ!と思ったんだよね、私は。

 

 

ちょうどまだ下の子がいたので「ねー、親ガチャって知ってるー?」と洗面所にいる彼に投げかけるように聞いてみたら「うん、知ってる」との返答。「うちはさぁ、金銭面とかではまじに親ガチャ失敗だねぇー。ごめんねー」と言うと「いや、別に」と。

 

 

そういやさぁ、親ガチャのそのニュース?を見続けててビックリしちゃったのはさぁ、「親に対してそういう表現をするだなんてけしからん!」みたいな意見ね。

 

わたしそういうの分からんのよ。「生んであげたのに」とか「育ててあげたのに」とかさぁ、そういうのってどうなのかね?「親に対してその表現は」とかさぁ。

 

まあね、度合いってもんはあるけどさぁ。でもちょこっとシニカルなだけじゃん。ユーモアが分かる人はシニカルも許せると思うのよ。としたら分からん方なんだろな。

 

 

子が望んで「お願いです。お願いですからどうか私を産んでくださいね」って言ったわけじゃぁないでしょう?子が自ら望んで「お願いです。お願いですからどうか私を育ててください」って言ったわけじゃぁないでしょう?

 

そうなるようにした事実を作ったのは誰なんじゃ??そこに責任持ちなよねーと思ってしまうのです。

それは多分私がそうやって育てられてきた過程での大いなる不満が未だに解消出来てないからなんだと思うけど。

 

 

今日も帰宅したら「〇〇へ行きたいんだけどー」という子の訴え。

さすがに今日は魔モンスター被害が別な意味で凄かったので悪いけど外出は絶対無理と宣言し、ごはんを必死に作ったのですが、それにしてもどうにもこうにも家の用事やら子の用事やらに振り回されすぎてます。

 

なんでこんなに忙しいんだろーって考えると、子に寄り添って生きてるからだよね。

私が子どもの頃はなんでもこども1人でやる時代だったしなんでもこども1人でやらされた。歯医者だって1人で行く。具合が悪いからと病院へも1人で行く。とにかく何するでも1人。習い事だってもちろん1人で行って1人で帰ってくる。どんなに夜が暗かろうとも。

 

 

そんな時代と比べて物価は3倍も上昇した模様。道理でお金がピンチなのも頷ける。給料はあがらんのに物価ばかりあがるんだもん、そりゃお金ないのアタリマエー。

 

それと共に感じるのはさぁ、子にかかるお金も親が子にかける時間もその頃に比べると今は別次元or別空間なんだよね。そこが分からない人は恐らく親ガチャ表現にしても怒りしか沸かないかと思われる(簿の調べ)

 

「今の親は子の機嫌(?)ばかりとってこどもをわがままにしてるだけ」とか「こんなに近いとこなのにわざわざ車で学校まで送ってさぁ、1人できちっと行かせればいいのにねぇ」とか「特別な日じゃないのに高いゲームソフトを当たり前に買ってあげてるし」とかね。言いたいことは分かるけど、でもそれにも事情ってもんがあったりするかもしれないじゃない?それなのに主張ばかりしてきてはさすがにね、「お前まず黙れ!部外者だろうが!」って思うんだよね(まぁ元義姉は借金大魔王でしたが)

 

 

それらは私の実家で繰り広げられた一方的な主張を押しつけた大きなお世話ゆえの結果の集合、つまり兄の離婚の理由の1つにもなったやつなんだけれどさ、どうして年寄りってのはそこまで介入したいもんなんかねぇ?もしかしたら説明出来ない淋しさや不安みたいなもんをストレートに表現できないだけなのかもしれないねぇ。

 

 

どこかで自分はまだまだ現役だと思いたいが為に権力というか立場を使って自分の凄さってのを見せつけたいだけなんじゃないかなぁ。。。見せつけることで自分はまだまだ大丈夫!俺様は全く問題ない!って自覚したいだけなんじゃない?ってと思うけど。

 

でもさ、提案だけならまだしも、押しつけになったらそりゃダメだ。相手の気持ちを無視していることになるだけだもん。

 

 

ちょうど三輪さんの番組でも取り上げられていたのだが、自分の物差しでしか物事をみれない図れない、そういう人が多いのだと思った。自分はそうやって育ってきた、だから自分の価値観は間違っていないはず。私には多分主張してもよいその権利がある!!と思い込んでしまっている人が多いのではないかと思う。

 

それと「自分がこうだったから自分の子供もこうでいいんだ」というような、子が自分より幸せになるのは抜け駆けみたいで憎たらしい)自分が不幸と認めることになるから)みたいなVSに似たような負け惜しみ的挑みもあるのでは思う(特に母親が娘に対してや周りに対しての「私が(私だけが)ナンバー1よ!」みたいなのはないわけではないと思う)

 

 

若い女の子はモテる。そりゃアタリマエ。だってそれだけでもうかわいい。でもだからといってその若さに張り合おうとは私は思わない。闘うジャンル全く違うもの。

でも逆にだからこそ、おばはんには負けたくないと思う。女は選ばれるのが嬉しい生き物なのかもしれません。だからオカシイおばさんにはぜってー負けねーって思ってる(私は(もちろん努力もしています)

 

 

子も親も同じ価値観で物事を見ることが出来考えることが出来るならズレは生じないけれど、そうじゃなければそのズレのせいでどんどんおかしいことになっていくんだろうね。そうならん為には自覚が必要で認めることが必要なんだねぇ。

 

 

こうあるべき!主義マンセーの支配めいた毒の強い親に育てられたのでそういう意味では私の親ガチャは失敗だったなと思う。もっと自由にのびのび生きてきたかった。世間体や人の目ばかりを気にしなきゃいけなかった。いつも人と比べられて注意され怒られてばかりだった。「なんであんたはいつもこんなにも出来ないんだ!」と否定ばかりしかしないような親だった。もっともっと出来るかもな可能性を伸ばしてほしかった。「大丈夫大丈夫。頑張ればなんとかなるよ。応援してる」と言ってほしかった。いつもいつも出来ないとこばかりを大きく切り取られ不安を更に増長させられ怯えさせられバカにされ、褒められることなどほとんどなかった私のこども時代(もちろんですが、だからこそ自己肯定感低すぎです)

←先日全部をぶちまけ言い放ってやった時、「私はそんなこと言ってない」とか「私はそんなことしていない」とか開き直りやがった実母に更に頭にきた次第。

「あなたの為を思ってやってあげたのに」とか「良かれと思ってしてあげたことなのに」とかまたまた言われてまたまた怒髪天でした。

とにかく、上から目線やめーーーーーぃ!

 

 

結局なー、何事も見つめ直したり認めたりといった本人の自覚がなきゃさ、お話なんて成り立たないんだよね-。

親ガチャ表現に憤慨してる人は実はどこかで上から目線になっているからなのかもしれないなーって、つらつらと自分の考えをまとめてみたらそう感じました次第。

 

 

家族はさー楽しくなきゃいかんと思うのです。家族だからみんなで話してみんなで決めてみんなで楽しまなきゃと思うのです私は。認め合うことが出来れば協力もし合えるし、協力し合うことが出来れば楽しむことだって自然と出来ると思う(我が家は適当すぎるからなんだけど)

 

今の家族は楽しめる家族だと思う(夫はほとんどモブだが(本人の希望)一緒に一緒の時間を楽しむってことだけじゃなく、一緒じゃなくてもそれぞれが落ち着いていられるっていうそこがあれば楽しめる家族になれるんじゃないかなと思う。その為には対等に話を沢山することがとても大切と感じます。

親ガチャが当たりでも外れでもどっちでもそんなんはいい、人間VS人間として子と話が出来ることに感謝したい、そんな気持ちです。