日曜日のファミレス。笑いながらおたけびあげて走っている男の子。コップいっぱいにいれちゃったらしきその中身をこぼさないようにと慎重に緊張した面持ちで歩き過ぎていく女の子。ふぎゃふぎゃ言ってる赤ん坊。
にちようっていいなぁ-。この雰囲気嫌いじゃなぁー。
注文したデザートが待てど暮らせどこなくって。店内はまだ混雑していなかった時だから多分きっと忘れてる。30分過ぎてるもんこりゃきっと忘れてる。
と思いながらもまだ待ってみた。子も何も言わないし。急いでるわけでもないし。
そんでも全く来ないからピンポン押して聞いてみた。そしたらなにやら「?」をまとってる。「やっぱ忘れてたんか」と子。「うん。けどあたしたち急いでないから別にいんだけどね」
せかさないスピリッツの息子に感謝した。相手の立場や状況を察することに。
ちいさいこどもたちにしたら外食はイベント。ドリンクだって好きなだけ好きなものを選んで飲めるから素晴らしい。自立自活の一歩だよ素敵だね。
いきいきして動いてる小さな子達を見ては自分の子が小さかったときを、そして自分が小さかった時とどうしても比べてしまう悪い癖。今は私のこども時代に比べると良い時代になったなぁ-。
「行儀が悪いから立派にしなさい」言われて食べるご飯は正直緊張の分だけ美味しくないし楽しくない。そういう気持ちが分からなくあれど、それでも相手の気持ちや声には耳を傾けたり相手の立場になって想像して考えてみてほしかった。
奇声をあげて走り回る子を見ると私の親なら絶対こう言う、「親の育て方が悪いからだ」。そういう感じだから他人の前で彼等と一緒にいることが苦痛になる。人様のことを文句言えるだけ偉くもないということに気付いてない。外で言うな外で。せめて言うなら家で言え。
子がそっち系じゃなくて本当によかったと思った。
子がいてくれるようになり20年近いんかぁ-。私も小さかった彼と下の子と一緒にそんな感じでごはん食べたりしてたんだなー(彼等は騒いだり走ったりはせず2人でいつも楽しそうに話ばかりしていた)けどもうそれは遠すぎる記憶だわ、、、なんて思いながらじーっと見るのは悪いのでチラ見だけしては心がほわわんとした。
なんか知らんけど子にいきなり褒められるの巻。「あんた、親としては最高だよね」
「え?親じゃなくて人間として最高って言ってほしかったな」と言うと「それはちょっと無理じゃない?」と言われたがよく分かんないけど嬉しかった。私の親は子を褒めるってことなどほぼしなかったのに私は子に褒められた。親ができなかったことを子は平気でできるのかぁ、、、なんかよく分かんない何かを思い知らされた感じだった。
話の最中私に対して「おまえ」と言った息子。「あ、やべっごめん!普段の感じで言っちったわ」「あ、別にどうでもいい。私は偉くなんかないし話が通じればそれでいいって思ってるから」「でもちょっとじゃない?」「ん、どうしても大切でそりゃ違うだろって時は流石に言うけれどそれ以外はまーどうでもいい。言い間違いなんて誰でもあるしわざとじゃないし、指摘されるまでもなくごめんって言ってる時点で問題にもならんだろう。ちっちゃいことにガタガタ言ってるヒマあれば楽しいこと考えてた方が絶対幸せだ」「確かにそりゃそうだ」
話の流れではあるが親にされてイヤだったことを私はなにげにぼそっと子に話す。
呼び捨て、「くそばばー」と言ったら包丁もって走ってきたよあの人は。でも私は「くそばばー」言われても「あーそうだなー私くそばばーだな」って自覚あるので怒ったりとがめたり責めたりはしない。正しいことを言われてるから反論する意味もない。「確かにそうだねー」とか言って終わる。でも私の親は「親に向かってその口の聞き方はなんだ!!こどものくせに!!」だったもんね、いつも。
「信じらんねー」「最悪な時代だったなぁ」とか「あんたが余りにも気の毒すぎる」などと第三者の気持ちで子がそうやって言ってくれるそのおかげ、長年悩み縛られてきた私の心の苦痛、憎しみは少しづつ成仏できているのかもしれんなーと思った。
家族は楽しくなきゃダメだ、みんな平等で。
仕事も楽しくなきゃダメだ。平等は難しいからそこは目を瞑るけど、協力し合える人たちとは力合わせてお互いがお互いを尊重しながら助け合って。そうして安心と信頼ができるのなら嬉しい産物だよね。
なにかあった時、家族はもちろんだけど友達や友達一家のこと、職場の人のことまでも心配したり気遣ったりできる、そういう関係性がある幸せを忘れずに感謝していきたいなーって思った。ありがてぇありがてぇ。