然りとてさりとて

毎日を平々凡々に暮らしたい願望大なのに、いろんな事にわちゃわちゃ振り回され続けてる(振り回してる?)50近くの田舎女性たわごと日記。 VSびんぼー、毒持ち(こうあるべき!大好きな過干渉さん達)から逃亡中、VSストレス作らない、自分の為に自分らしく、VS何事にも果敢に挑戦頑張り中

さよなら愚痴り合い仲間

ここにこうやって書き吐き出すことで、「ぐぬぬぬぅ・・・」といった不憫な気持ちや「ぐぅおぉおおあーーー」といったなんとも形容しがたい気持ちなども不思議だが消化されていってることに気付きました。不満とか愚痴とか思ったこととか感じたこと。

 

ピンポイントで同じような事が起きてる人と話したら共感してもらえてお互いちょうどいいのかもしれませんが、そういう話って「はい、ここまで☆」って自分で区切りをつけないと一生永遠語り継がなきゃいけなくなっているような人いません??(人によるけど)

 

私としては同じ失敗繰り返したくない派。残りわずかとなった貴重な時間を(50近くなるとなぜかめちゃくちゃ焦燥感にかられる&子育てからもだいたい卒業近いからこそ)大切に使いたい。だから他人と愚痴を言い合うことはもうしたくないなと思ってる(自分で区切ること出来ず永遠に同じことを言い続けていく愚痴限定)

 

 

子が幼稚園の時に仲良くしていたママ友さんが、恵まれてるのにいつも足りないものばかりを見ては愚痴を言ってる友人と私のことを「2人って似ているね。悩みなんてもっと大変なことで悩むもんだと思っていたけれど・・・」と言ってたらしいのだが、今だからこそ思う。「確かにたしかに」

 

そのおかーさんは上のお子さんが病弱らしくて「手がかかるから育てるのがやっぱ大変でねぇ~」と時折は言っていたけれど、その大変さを細々と愚痴グチと話してはいなかった。お子さんに会ったこともなかったから私はその時はぼんやりとしか理解出来ていませんでした。

 

けれどその後、たまたま病院で一緒になり初めて上のお子さんに会うことが出来たのだがおっしゃってた通り1人で行動するのは確かに難しいよう見受けられ、以前発言されていた「やっぱ大変」という言葉の意味だけは理解できました。

 

恵まれてるのにいつも自分よりも裕福な人などと見比べては自分が持ってない足りない物ばかりを求め愚痴を言い続ける友人が話す話は、重箱の隅をつつくような話にも似通っていて、育てられ方という形で自然と身につけさせられていた「こうあるべき」を自分で捨てた新しい私の考え方はそれまでのそういった事さえも陳腐に感じてしまう程に大きな転機がきました。

 

「大きすぎる大変が起きると細かいことなんてもうどうでもよくなる、の巻~」です

 

 

「何もしてないのにいきなり同僚に無視されて頭にきた」という話だったり「3人で歩くとき、自分のこどもを1人にして残りの2人だけで並んで歩くからシンジラレナイ」とか「仕事なんだからサボらずきちんと自分の仕事くらいこなせよ」とか「いつも貰ってばっかりで人にあげることしないなんてあり得なくない!?」などなど、正直そんなことくらいで愚痴グチねちネチ言う??と思えてしまうようになっちゃった。

 

 

「悩みってもっと大変なことで悩むもんだと思っていたけれど・・・」と言われた意味はここだよね。「そんな(くだらない)ことで!??」とビックリされるような出来事で悩んだり考えたりしてるんだから「は!??」と思われても致し方ない、と今は思う。

 

 

でもその時は広く大きな考え方を知らなかったのでそれはそれでいいとするけど、何につけ何にせよ全部が全部「自分たちが正義。自分たちは間違っていない」という恐ろしいシンドロームに最後入り込んでいたことさえ気付かなかったからまじ恐ろしい。物事は客観的に見ませんといかんですな。

 

 

それにしてもスケールが小さい話ばかりなのに「私たちはこうあるべき!!」が余りにも多すぎてそれが当たり前だと思い込んでるから他人の行動や他人の発言にいちいち反応して文句を言う。「こうあるべき」というもんがあると「結局自分間違っていない」という思考に辿り着いちゃうので話せば話すほど「ほらやっぱり私は間違ってないよね!!!(鼻息フンヌー)」と永遠に愚痴はき続けるプリマドンナ状態、最悪ループ。

 

 

ガキすぎたんだよ、、、。なにかのせいにして自分は悪くない自分は間違ってないって思ってたんだから。

 

 

愚痴ってもんは手法と同じようなもんかと思う。会えば愚痴、だから愚痴、この人に会うと愚痴れる。愚痴り仲間。そういう間柄になっていた。良いことならまだしも、良くないことでも開き直って肯定、ってそれって最悪すぎだわよ、、、

 

 

本当ならさ、お互いがお互いを刺激し合えたり高め合えたりするのが人間としては素敵な生き方ですねぇって思う。けどようやく最近気付いた私と友人との本当の関係→愚痴り合い仲間。これでは所詮無理な話。よーく考えてみるとわたしたちって行動が真逆。性格も然り。考え方と感覚が似ていただけだった。

 

 

「ねぇねぇ聞いて-」という話さえもう無効だわと思えたのはやはり先日の事が理由だと思う。金銭面でも物資的にも私よりも恵まれてるのに(比べものにもならない)、そんな私の前でこちらの事情を知りながらも「お金がないお金がない」言われてもねぇ?事件。そんなに恵まれてるのに幸せに気付けないくらいなら(気付きたくないのかもしれないね)私が話すことなんて理解も共感も出来るはずないでしょう。

 

 

もうね歳も歳だから、くだらないどうでもよい話なんかに時間費やしたくはない。

他人のグチを聞いてイヤな気持ちになるならば聞かない方が心はもちろん身体にもよい。

 

歳とると脱皮していかなくてはと思う。身も心もシンプルに中身はクリーンに生きていきたい。