レシートばっかたまってく。師走だからかなんだか切ない。
打ち出されてるその中身と言えば、食品、雑用品、こどもの物ばかり。
うひゃひゃひゃひゃーと飛び上がって喜べるほどの物に私のもんはない。
そんでもお気に入りのペンの替え芯を買うだけで嬉しくってたまらない。
幸せのハードルが低いのと諦めが板に付いている思考、こういう時ばかりは悪くないですな。
こどもが食べ終わったお皿に少しばかりおかずが残っていたりする。
スクランブルエッグ最後の生き残り?ブロッコリーの生き残り?みたいにほーーーーんっと少しだけなんだけど。
それを見ては「最後までキレイに食べてくれればエコだし健康も面倒も増えないんだけどなー」って思ってはいるのです。けれど喉元過ぎればなんとやらでいつも言い忘れてる私も私だなぁ・・・。
今日もそうでした。「時間ない時間ない」病の下の子は寝てる時間を優先したいが為、朝ご飯はささっと派。だから仕方ないねぇ、食べないで登校されるよりはいいもんね☆と思って納得しているんです。が。
100円にも満たない替え芯を1つ買って喜んでる私の思考。そこからふと思う。食べ残されたわずかばかりの物だってちりも積もればなんとやらですぐに替え芯1つくらいは買えちゃうのかもしれん。そう考えたらなんだか複雑。
こちとら必死で働いて稼いできてるそのお金で君たちは生活しているわけですが。
でも必死で稼いできているというその気持ちが全く分からない、理解出来てない人相手に対して頭ごなしに怒ったりその考え方を一方的に押しつけて想像してみなさいよ!なんてするのは違うよなーと。
彼等だって分かってはいるのよ、頭ん中では。
でも経験というもんが備わっていないからピンとこない、まだ繋がっていないだけだよね?多分。「シゴト休んでりゃお金貰えなーい」とか「総菜買ってばかりじゃお金かかりすぎるー」というふうに執着ってもんが必要なわけじゃないとまだピンとこないよねぇ??わたしもそうだったもんなー。
「席外して戻ったらさぁー食べてたじゃがりこにジュース入れられててさぁー」とか聞くと「食べ物粗末にすんなよなー」ってすかさず思う。
ドリンクバーでもさ、いろんなの混ぜてすんごいドリンク作ってさぁ、そんで「まっず!こりゃ飲めねー」とかやってんの見てため息ついていたけどさ(←小学生の時。もちろん最後の一滴まで飲み干させた)
でもだからといって誰かの一生懸命を踏みつけたくてそうしているわけではないし誰かを傷つけたくて痛めつけたくてそうしてるわけでもない。冒険の一種なんだろなー。
若い人特有の成長という冒険ってヤツなんだろなーと思う。
間違うから正しいことがきちんと分かるようになるし(何事もやってみなけりゃ分かりませんものね)、失敗するから成功の近道に気付けるようになるとすりゃ、不完全が一番素敵なんじゃないかしら?と思った今朝のこと。
昨日書いたことからも思うけど、上手すぎると当たり前すぎて通り過ぎちゃう。でもちょっとひっかかる何かがある方が立ち止まちゃうものね、興味の有無など関係なしに☆
感情だけで動く人は良くないな。考え方なんて人それぞれ沢山あるし。
何につけ悪意と人を大変にさせてまで怠慢すぎる思考全開な人をは拒絶しますけど、そうじゃない人相手なら、黒く大きな想像と考えを持っていかなきゃなと思った出来事。