然りとてさりとて

毎日を平々凡々に暮らしたい願望大なのに、いろんな事にわちゃわちゃ振り回され続けてる(振り回してる?)50近くの田舎女性たわごと日記。 VSびんぼー、毒持ち(こうあるべき!大好きな過干渉さん達)から逃亡中、VSストレス作らない、自分の為に自分らしく、VS何事にも果敢に挑戦頑張り中

だいすき適当

適当が一番いいのかもしれません。そう思うのです。

 

goo辞書さんより「適当」と言う意味を引用させて頂きますと、

 

  1.  ある条件・目的・要求などに、うまくあてはまること。かなっていること。ふさわしいこと。また、そのさま。「工場の建設に―な土地」「この仕事に―する人材」

  1.  程度などが、ほどよいこと。また、そのさま。「調味料を―に加える」「一日の―な仕事量」

  1.  やり方などが、いいかげんであること。また、そのさま。悪い意味で用いられる。「客を―にあしらう」「―な返事でごまかす」

とありました。

 

わたしが使う(使いたい)「適当」としての意味は1と2。今回は特に2について。

 

 

適当を頑張りすぎると完璧に近づいていっちゃうので疲れます。たいそう疲れます。だから完璧は生活の中にはほとんど要らなくてと私は思ってて。

「よかろううよかろう、問題起きない範囲でいいではないかぁ」と思ってます。シゴトや大事な場面以外では。

 

 

愚痴や文句に関してもこれまた同じで。愚痴も文句も言うには言うけれどある程度までで終わらせたいものです。腹の中に溜め込んだものを一気に放出するかの如く同じ話を永遠と話すのはジカンの無駄とも思えちゃうことあるお年頃ですし(自分に残された時間が余りにも大切すぎてくだらないレベルの話や事柄に時間割いているのがイヤになりました)

 

だからなんでもほとんどは「適当」でいいんではないかな。それが生き辛くない生き方としての私の選択。

 

 

もしかしたら☆!と思っていたことが見事無理が認定してしまい、この数日間かなり落ち込んでしまってました。密かに希望していたことが絶対無理だと判明しまして。そしたら私やっぱこのまま大変なんじゃーーーーーんって常時ため息レベル。

 

けどまぁ私は大変でも私じゃない人は大変じゃなくなったのならまぁそれでいいか!というふうに自己解決してみました。無理なもんは無理!そりゃ仕方ない。

 

 

今まではそういった事も愚痴友に話していましたが今は話したいとは思わなくて。自己解決できた話をどうしたいのか?と考えてみたとき、愚痴友に「聞いてほしい」わけでないし「アドバイスが欲しい」わけでもない。「戯れ的ネタ」でもなくて。無理して話さなきゃいけない話ではない、という結論に至るという、ね。

 

 

 

我慢しすぎるとそれが鬱積するのでその鬱憤を放出しなきゃいけなくなるけれど、最近は我慢なんかしないようにして生きてるので勢いよく放出しなきゃなんないお話もなし。他人に期待してもどうにも変わらんのだから期待して怒っててもねぇ!?・・・

 

そんでそれが愚痴として時間を喰って喰って喰いまくって、気付けば何を得た??と考えますとな~んも得ないんだよ。時間捨てて文句言い続けてるだけなんてあたい悲しい、もう絶対そんなんイヤだから。

 

 

他人に期待して文句言って愚痴吐いてる暇ああるならば、心が楽しくなるようなことやストレス解消なこと、自分を高めるかもしれんことなどしてりゃいいと今の私はそう思う。

 

愚痴は言うけど自己解決必須!延々と言ってるヒマありゃなんか他のことしよう。

だからね、適当が素敵なんだよ。求めすぎないくらいな適当がすんばらしい。