先日実母がいきなりインターホンにうつってて「あぁまたか」と一瞬で気持ちが落下。
小さい頃も今も土足でいきなり人のテリトリーや心の中にずかずか踏み込んでくる実母は「自分の子の為を思って自分がやっていることならば何をしても問題はない」と疑うこともなく信じ切っている派な人でして。
私はあなたの為を思ってやっていることなのよ→私はあなたの為を思ってやってあげていることなのよ→だから私は悪くない→むしろ、そういう考え方をするあんたの方が性悪、
という脳みその持ち主です。それを私が小さい頃からずっとやっている。言わばお家芸なんだと思います。その英才教育のおかげもあってか兄は2回も離婚しているし(!)そういった人に育てられたことが標準と思い込んでる兄も兄ですが、、、
実母のヨクナイ部分が(完璧主義派の夫に律儀に仕えてる&基本スタイルは過保護で過干渉)女性として当たり前の標準仕様と思い込んでるという問題は大きい。
一言でいえば世界が狭い。そして周りを見なさすぎ。だから自分はいつでも主人公、自分たちはいつでも主人公です。自分が間違って居るはずなどはない!!そう思い込んでます(そのルーツはそのまた母親にあり、実母と祖母の2人はそっくりだ)
で、何の用事かと思いきや、先日の冠婚葬祭がらみでのお返しの品を持ってきた+孫の進学に使ってほしいとお金を。貰える物はありがたく頂きますがでも正直言って貰わなくてもいいんだ。だってね、貰うとね、「俺達が上げたお金」とか「せっかくわざわざあげてやったのに」という支配関係が発生するんだよ☆そういう事言われると感謝もクソもなくなるわけで。だから今回頂いたお金に関しても、どうせまた「娘にやってあげてー」とか「娘家族にくれてやった」スタンスで偉そうに吹聴してるんだろなーって思ってる(勝手に言ってろ)
そういうのって見苦しい。なんで上下関係を作んなきゃいけないのかが分からない。
そういうこと調べてるうちに辿り着いた本があってすぐさま購入したのですが、書かれてる内容がほとんどドンピシャでした。
自分でもわかってるけど私の場合、「親は偉い」「親に向かってお前は何様だ」とか平気で言われ痛めつけられてきた心の中にずっとある怒りとかは趣味でバランス保っていたからおかしい方にはいかなかったんだと思う。けどもしそういうのがなかったら私も危険人物になり得る人間でしかなかったかもしれん。
音楽、ギター、本が学生時代大切に思っていたもので、学校を終えてからは酒!、酒!、酒!(本、音楽)に成り代わっていました。
毎日呑まないとやってられん人間となって呑んでばかりいたなぁ-。
不満が解消されないから呑むしかない、だから呑む!という生活ね。
親が人の文句ばかり言ってたので私も人の文句言うのが当たり前人間で。オカシイ人がいたらずっとオカシイ人の文句を永遠に言い続けるというスペックを持ってしまってました。重箱の隅をつつくかのような文句を言い続ける私(人に笑われないようにしなさいと見てくれやふるまい、体裁など親が私にこうなってほしいという願望をキビシク細かく口うるさく教育されたので)人に対しての「ちょっとあの人オカシクナーィ?」ってのはたっぷりすぎてたもん。いつでもわっほいわっほいよ。
結局ね、縛られて抑制されて自分のしたくないことをさせられたりさせられるよう仕向けられたりしているとフラストレーション半端ないんだよ。抑制してる側からすりゃ、そりゃ子育ては楽勝だったらしい。「あんたのかーさん育てるのに手なんて関わらなかった」って私の子に言ってたらしい実母のその言葉を聞いて怒りを覚えました。
言葉で支配して、行動で支配して、結果思い通りにいかなれけば被害者ヅラして文句という攻撃方法でちくちく小言言い続けてこちらの罪悪感与えてあとは放置。「おかーさんは知らないから!」「勝手にしなさい!」といって。言われた通り勝手にしてればしてたで更に怒りの鉄拳喰らうという、、だから最後は親の思い通りにさせられたよね。
言いなりに従わないと最後は正座させられて長時間のお説教タイムだよ。「お父さんが帰ってきたら怒ってもらうからね!」って最低2回は怒られるという・・・
そんなんされたいヤツがどこにいる??だから心は捨てて渋々従う(しかない)。
「●○しないとおばけがくるよ」的に脅かされ、それ怖がってたら「そんなの怖いだなんてねぇ~?」とバカにされ、それでも怖がっていると「根性なし。そんなことで怖がってんじゃないよ!!」って怒られて。そういうのもまとめて「ふざけんなよ」って思っていた。
小さい頃、「この親たちオカシくない???」って思っていたことが大人になりすぎた今ならすぐ分かる。「この親たちは確実にオカシイ。自分たちが主人公だと信じ切って人の人生にまでも入り込んできやがる」って思うようになり、そして温度は無になった。
頂いたお金はただのお金。貰った食べ物もただの食べ物。そこにはなんの意味も感じない。
「あんたさーいずれ死ぬんだよねー?俺なんて悲しくてめちゃくちゃ泣いて辛いってなると思うけど、おばーさん(私の実母)が死んでもあんた多分そんな悲しまないでしょう!?」と子に言われ(田舎だからあんたとか言い合ってるお行儀も悪い私たち親子)、「うん、多分あんま悲しくないと思う。むしろしがらみの決着がついてスッキリするかもしれん」と答える私。
何するでも上から目線な私の両親。子を支配下において自分が優位にたっていたいのと子より親は偉いという昔の風潮を使わなきゃ自信を持てないある意味ドーピングしてるようなもんで。
年々私と私の子との関係性が安定してるのを感じれば感じルほど、苦しんでいた小さい頃の自分やもがいていた学生時代の自分をやるせなく思ってしまって辛さがよぎるようになる。だから私が私の親に対する熱量なんて年々なくなっていき今では無。彼女たちの子育ての結果が私からしたら「無」だ。
以前頭にきてそれら何点かを分かりやすく話したが逆ギレされ「私たちの時代はみんなそうだったからそれは仕方ないでしょ!」とか「そんなことくらいで、、、けなされても「なにくそ根性で見返してやる!!」って頑張れば良かっただけでしょう?それを全部人のせいみたいにそうやって言うのは違うんじゃない?」とか言われ、もうこの人間には何にも言わないと心の中で誓った。謝ることも出来ない大人、情けね-。結局は自分が主人公だもんね。不思議なんだけど彼等は「子が怖いだなんてあり得ない」とか「子にバカにされるだなんて」という言葉をよく使ってたのだがそこが本心なんだろな。だから理由などなく親は偉い、私が偉いと自分が安心したいが為に相手にそういった自分たちの価値観を植え付けて安心していたんだろね。そこに気付かないから間違いばかりおこすんだなぁ・・・
自分は自分って考えりゃ、上から目線もなくなるし、子に依存しなくてもいいよう自分のことは自分で全部するようにすりゃなーんの問題も作られないと思うけど。結局偉そうにしていても自分に甘くて甘すぎて最後は人に頼って甘えてばかりの老害ちゃん(実家)ってでもさ、都合よすぎない?何様!?
「メシ喰わせて育ててやったんだから俺達の老後の世話をするのは当たり前」とか思っている時点でおこがましい。世話をしてもらえるような育て方をしたかどうか!?というところが焦点。そこにも強要が入るならちゃぶ台わざわざ買ってきてひっくり返してやるからな☆
私は子に世話してもらう気はさらさらないしこんなしょーもない私の世話をさせるだなんて気の毒でしょうがない。だから頑張って70までも働いて施設に入ろうと思ってる。「育ててあげたのに」ともほとんど思ってない。むしろ「来てくれてありがとう。会えてよかったなぁ」って思ってる。「産んであげたのに」とかなんて最低な言葉だよなぁと思う。教育はきちんとしましょうよ。
私がこどもの時は攻撃され支配され縛り付けられてのしんどい苦しい実家時代、でも私の子は「毎日たのしー。家大好きー出かけたくなーい」とか言ってのびのびしてるのを見ると、連鎖させなかったことが私のぐっじょぶなとこだけど一番大変なのは結局この世代なんじゃんねーって休みなく働く夫をみて思うのでした。
正月が近づいてるのでセンチメンタル過剰です。「行かないと決めてるのに「いつくるー?」とか言われるのが苦痛。早めに手を打っとかないと。