然りとてさりとて

毎日を平々凡々に暮らしたい願望大なのに、いろんな事にわちゃわちゃ振り回され続けてる(振り回してる?)50近くの田舎女性たわごと日記。 VSびんぼー、毒持ち(こうあるべき!大好きな過干渉さん達)から逃亡中、VSストレス作らない、自分の為に自分らしく、VS何事にも果敢に挑戦頑張り中

学びながらで自己肯定感あげている

休みの日というものは、自分の為だけに使いたいなって思うのです。

子と一緒に出かけるのもいいけれど、自分の意思を優先したいのです。

毎日誰かのお手伝いをして生きてるとそういう気持ちになっちゃうんじゃないかなぁ?

 

ぎぶみー自由-。誰か私に自由を与えて-!

 

 

とは言えども、自分のペースでできる時間あるときの家事は嫌いではありません。

洗濯をするとき最近いつも思うのが、洗剤の蓋が開かなくて必死に開けようとしてるのですが、そんなときいつも思い出してしまうこと。

「はぁ-もうコレも開けれなくなっちゃってー」とぶつくさ言いながらの実母の姿。

「一生懸命あんた達の為に子育てして一生懸命あんたたち育てる為に必死に頑張ってきたから私はこんなんなっちゃってー」

 

 

いつもそうやって恩着せがましく誰かに罪をなすりつけて自分はさも被害者ぶる心理、それが嫌でした。今もそーいうの大嫌い。その時のその光景がね洗剤使うときに蓋開かない時にが絶対浮かんでくるのです。同じシュチュエーションゆえに。

 

だから悔しくて悔しくて必死で私は開けている。開かなくても自力で何度も頑張ってみてそうやって開けている。誰かのせいになんてしたくない。自分で選んだ人生だ、自分の為に開けやがれ!そう思いながら開くまでがんばっている。

 

あちらに大病が発覚したときも「娘なんだから親の心配をするのは当たり前でしょう?」と恩着せがましく言ってきていたが全てスルーさせて頂いた。心配!?なんじゃそりゃ。

 

だって心配したいという気持ちよりも「ほらまたそうやって同情を買おうとしやがって。いつもの手口だよねー(棒読み)」という気持ちの方が大きくて。

 

「親に感謝しなさい」と常々言われて育ってきたから感謝というもんは作んなきゃいけないものなんだなーって私は思ってる(親に対しての場合のみ)。自然と勝手に生み出されてくるものなんかじゃなくて故意にわざわざ作り出さなきゃいけないもん、そういうもんなんだなーと。

 

だから此の期に及んで「育ててあげた恩」とか言われても「はぁ???」ってなっちゃってて。「育ててもらったという恩も作り出さなきゃならんのかーはぁ憂鬱・・・」そうなっている。

 

恩はないわけじゃないけれどそういうふうに強要されるとねぇ?

 

 

子が新しい道へ進み始めた。私からしたらAの方が絶対にいいだろうと思ったのだが本人はBにするという。明らかにAの方が全体的にみて断然良いのだが本人がBと言うんだから「ならばそうしなよ」とBに決定したのだが・・・

 

やはりAの方がよかったわと帰宅後ポロリ。まじ腹痛くなってたもんねーメンタルのせいで。Aの方がよかったわーと言うではないか。

 

いつもいつも人生の岐路に立たされたとき子は安全な方安心な方へとばかり進んできた。友達がいるからそっちにする、◍◍さんがいるからそれにする。初めはよかったのだろうが時間が経つにつれ気付いてくるもんだ、なんで俺こんなところでこんなことしてるんだ??(目的なく理由のみで進むとそうなるもんだよね)

 

何回かあったそういった教訓を生かしてBにした彼。そしたら今回は失敗?したかもしれないけれど(?)でも以前と変わったなーと思った、文句言わなくなったから。

以前は文句しか言わなかった気がするが、最近は理不尽なことに対しても「ま、仕方ないか」で済ませるようになっている(気がする)

 

 

それに「自分で決めるんだから慎重によく考えて行動しなきゃ。自分で決めるんだから自分で責任を持たなきゃね」という言葉はちゃんと届いている模様。少しづつだけどちゃんと成長してるんだなぁ。

 

大変なことがあればあるほど経験値はあがる。だからいろんな経験をした方がよいと私はそう思う。同じとこにいるばかりじゃなくて新しいとこに広がりをもっていかないと変化さえ生まれないからさ。だから今回の選択は勇気の現われ、強気の姿勢だわ~と心配しながらも惚れ惚れとしました。いけいけ、GOGOそうやっていってまえ。ぼっち最強!

 

 

それにしてもさ、身近な人の影響って大きいよね、すごく大きいと思うのよ。

 

過干渉な私の実母が黒子となって裏で自分の思うようにと実は私をコントロールしていたのだがその場合のこの場合はどうだっただろうか?と考える。

 

「ほら、だから言ったでしょう~。Aにしなさいって。でもあんたが自分でBに決めたんだから仕方ないでしょ?だから私の言った通りにすればよかったのに」

 

これがもっと小さい頃だとこうだった。

「ほら、だから言ったでしょ。おかーさんはAにしなさいって言ったのにあんたがBにしたんだからおかーさんは知らないよ!!だからおかーさんの言う通りにすればよかったでしょ。あんたが自分で決めたんだから自分1人でちゃんとやりなさい!(怒)」

 

 

応援一切ないんだよ・・・。選択ミスをは責められるし、私の言いなりにならないからほらこういうことになったんだよ!って責められる。その上あんたが自分で勝手に決めたことなんだから私はしらないと突き放される(これが彼女の日常)

 

悲しいなぁー悲しいなぁー。相手の気持ちなんて関係なく暴走している。道徳ってなんだろね。彼女は何を学んできたんだか・・・

 

 

何をどうしてもこうして責めてきたりはしない現職場。直接的な応援は余りないけれど(人による)でもフォローはちゃんとしてくれる人はいる(今までの職場では緊張ばっかしていた気がします)

 

だから私は自分の子に自分がされたようにはしなくてよい構図となっているんだと思う。ここのおかげで私の自己肯定感は少しづつ上昇していると思う。ありがとう、感謝です。あなたの無口がわたしを救う。

 

 

 

先日ふとしたことから親の育て方の話になって、そこで夫がいった一言がやけに響いてしまいました。

「簿のさんは可哀相な子供時代を過ごしたんだねぇ。あーやって怒ってばっかだと相手は萎縮して何も言えないし何も出来なくなるよな。あれってよくないよなー」(←私の両親と兄の酷さと凄さを知っている)

 

「それにしてもあのメンバーでずっと生きてきたのに、簿のさんだけは普通の人として普通に生きていられるんだから凄いよねぇ」と言って笑っていた。

 

親から怒られたことも厳しく躾けられたこともない彼からしたら特にそう思うのだと思います。なんかものすごく心に残ったし響いてしまったのでした。

 

 

悲しんでばっかいると楽しむ時間が減っちゃうし辛くなっちゃうから洗剤開けるとき思い出してしまっても「私は違うから。私は楽しく生きてくし人に罪悪感与えて自分だけ気楽になろうとなんてしなから」と思いながらで開けるの頑張ろうと思う。

 

 

その時その時を満足して過ごしていけるよう自分はもちろん子にも沢山の話を通して伝えていけたらいいなあーって思った。こちらとしてはなんてなく言ったことだって相手の記憶に残っていたらそれはそういうことだから、これからも相手の気持ちを大事にしていきたいものだわぁ-。