関係って近づかないと発展しないよね。ってことは出会えた時点で可能性は無限大に広がってるってことなのか・・・。最近なんだかやけにそう感じます。
年とった証ですかねぇ?。染みる、やけに染みるんだなぁーーー。
距離考えずで相手に近づきすぎたら作られるもんも作られていかないし、あったもんだって壊れやすくなっちゃうしで難しい。
かと言って距離取り間違えるとずっと平行線のままだしねぇ。
先日偶然にも会った友達に連絡しよう連絡しようと思いながらも時間に流されてます。
「ま、そのうちね」。これ私のよくない十八番。
相手に合わせるって悪いことじゃないけれど自分が疲れてまで合わせる必要ってあるのかなぁ?と次男が言っとりまして、母的見解、いや個人的見解としたら「否」だなと。
疲れてまでしても合わせたいなら合わせりゃいい。けど私は我を強く持ってる方なのでどうでもよいことにまで必死になって合わせる必要がないからしないだけ。そこに意味を見出せん、キミはどうなんだい?と言う話を昨夜。
「ま、いろんな人がいるってことだ。受け入れよういろんな人やいろんな事を。とりあえずはそれでいいと思うそれだけで充分と思う、けどそれ以降は相性なりなんなりあるからね、違う世界の生き物とは相容れないからそれはしょうがない「ちがう世界チガウ世界」と思って流すべし」と言って終わったが、そうね。いろいろ考えるよね。
ほんでもって彼の言う「考えるという行為」は答えに繋がる楽しい行為らしくって。でも今の学校では必死になって考えるという行為に遭遇することほとんどないらしく。
楽しさを知ってしまった人はその楽しさを越えてくれる事がないかぎりくすぶっていってしまうので、それはそれ、これはこれと線引きしていかないといろんな事見逃していくと思うから割り切った方がいい、思い出は特に尊すぎる。と言う話をしながら自分の過ぎた時間のヒトコマを思い出してはしんみりしてしまったという。
ま、ね。いろいろあるよ。生きるってそーいうことなんだと思うねぇ。
彼の言うことは正論だけど正論だからこそが正しい答えじゃないってこと、分かってくれてるだけでかーちゃんは少し安心しています。答えは1つじゃないってこと分かってくれてるそれだけで少し生きやすくなっていると思うので。とにかくそこを推していく1択のみ。
そういやさ、車での送り迎えや用事足しは面倒だなーって思う、だるいなーって。けれど、比較的なんでも話しやすい空間なんだよね多分。だから大事にしたい時間でもあります、面倒くさいけど。例えこーこーせーだんしでも結構話してくれますし。ってま、うちの場合、親と子としての話ってあんまりなくて、大体は人間対人間で話しているからかもしんないけれど。
先日、「■の件だけど、今後は◍◍の後は△△をやってもらう流れに決めたから。だからそうあんまりイライラしないで」と上司に言われ、イライラというワードだけダイレクトに響いてきたのでありました。
気を使ってくれたのは分かる。きちんと考えてくれたのも分かる。けど私はそんなにイライラしている様だったのか?ってそこに首を傾げてしまいました。ほわい?
確かにねぇ、現状や事実に愚痴や文句は炸裂させちゃったけど。
私からしたらこんなのって茶飯事だから自身ではピンと来てない。だってこれが私の素だわよ。けど相手にしたらそこまで爆発した私の姿なんて見たことなかったからビックリしたのかもしんないね。「どう頑張っても心穏やかになれん」という話もしたからイライラといういうワードになったんだろうけど。
そうか、、、、普段の私はイライラなど感じさせることない人なのかもしんない?ということでこの話は完結。きちんと考えて対処してくれたことに心より感謝!
そういえばだ、その日のことだったのですがなにかの話をしてた際、私の希望的観測が
実は無理ゲーってことを知ったその方が言った言葉。「簿のさんだから話すけどさぁー」というワードに「??」の違和感。
なんで違和感?と考えてみましたら、それまで距離ありすぎて言いたいことも少ししか言えずだったり少ししか言わずだったりの私だったのね。でも本心ぶちまけた上に「地獄におちろって思ってる」とか「これだから老害は」などの言わなくてもいいワードをぶちこみながら話してることで以前と比べると少しは気楽に感じてくれてるのかな?と思った次第。
いずれにせよ、問題のない関係性は素敵なことだなぁーと最近の人間模様をみてそう感じたのでありました。きれい事まとわせての会話や関係なんてまじ疲れるだけだわぁ。
そういやさ、以前はモブだった夫も最近は親としての仕事を先陣切ってやるようになりました(なぜ??謎すぎるんだけど、まぁ細かいことはいいとしよう)し、問題が少ないってことは素敵なことです。